2012年3月11日日曜日

るろうに剣心の人誅編について るろうに剣心の人誅編は京都編に比べて人気がないこ...

るろうに剣心の人誅編について

るろうに剣心の人誅編は京都編に比べて人気がないことが多いですが、何故でしょうか?
るろうに剣心にテーマを考えると人誅編は絶対に必要だったはずです。

るろ剣はただのヒーローバトルものではありません。主人公が償いきれないほどの罪を犯していて、その罪と向き合い償いの道を見つけるというのは、一巻の頃から出てきていたこの作品の一番大事な部分です。避けては通れない話なのです。しかし、ネットの感想サイトなどだと、「るろ剣は京都編で終わるべきだった」だの、「人誅編は引き延ばしの蛇足」だのという意見をよく見かけます。

「京都編の方が面白かった」と思うこと自体は個人の感想なのでしょうがないとは思いますが、人誅編がいらなかったと言ってる人は、本当にるろ剣を読んだのか?テーマを理解していないのか?と甚だ疑問です。

何故このようなるろ剣に対する誤解が生まれているのでしょうか。


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人誅編は人斬りである主人公を描くには必要な物語だったとは思います。人を殺した者はどうすればその罪を償えるか?というのは非常に重要なテーマであり、これを避けて通ればるろうに剣心は、ただ伝説の暗殺者が心を入れ替え人のために生きるという、少年受けするだけの浅い作品になってしまうはずだと思います。





ですが人誅編で登場した敵キャラクターの中で真剣に復讐を考えていたのは縁だけです。「番神」「瓢湖」「外印」は単に戦闘目的、「鯨波」「無名異」は逆恨みです。そのため縁を除く5人の戦いが全て薄っぺらい、償いというテーマからかけ離れたものになってしまっています。この5人の中で武士として生きる場所を奪われた鯨波が剣心を憎むのはある意味自然かとも思うので、彼を登場させた意味はあったとしても、他4人は登場させないほうがよかったと思います。





6人全員が剣心に大事な人を殺されたり生きる場を奪われた、などの強い動機があれば人誅編にも深みは出たと思いますが、あのメンバー相手に剣心があそこまで人斬り時代の自分に苦悩するのは少し強引です。戦闘自体も特に面白みもありませんでしたし、京都編のほうが~~という人が出てくるのも無理はありません。それに殺人の償いや復讐というのは少年誌で描くには難しすぎたのかもしれません。





私自身、少年のころに読んだときはあまり面白くないなと思っていましたが、大人になってから読むと以前読んだときとはまた違った印象を受けました。読者に伝わりにくいテーマだったことに加えて、和月先生が人誅編のテーマをうまく描ききれていなかったとことで、「必要ない」「京都編のほうが良い」という感想をもたれる読者が多いのだと思います。



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京都辺までが前半の一つの物語ととらえていいでしょう。真実の強さはハンパなく、それを辛くも自滅という形で終わらせるほどの難しさです。

人誅編は後半の一つの展開としてみていいでしょう。そして作品全体のテーマである「贖罪の答え」を見出すクライマックスを持ってくるのはやはり一つの作品として大事かと…



ここで賛否両論出るのは少年誌としての整合性にあるのではないかと思うんです。もとから少し残虐なシーンがあり、特に人誅編ではその傾向が強くなる。もちろんそれだけ残虐なシーンがなければ中身に引き込まれにくいというのもありますが、アニメではゴールデンタイムに流れるということも考慮に入れるとあまりにもきつかったのではないでしょうか??

個人的には人誅編ありきのるろ剣だと思ってます。


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他の回答者さんに全面的に同意。それにプラスして。

京都編、人誅編それぞれのボス格の差もあったんじゃないでしょうか?

志々雄真実という非常にインパクトの強い敵の後では、雪代縁も霞んでしまうのでは?(あくまで大多数の読者の印象として)

キャラクターの魅力も漫画を評価する基準になりえるので、そこらへんで人誅編はマズかったと思います(人誅編が悪いのではなく、京都編が良過ぎた)。四神とか、かなりアレですし。

結局のところ、深く読み込む人なんてそれほどいないということでしょう。表面的の部分だけで判断されているというか。るろ剣に限らず、深く読み込むほど好きな作品だったら、そもそも文句なんて出てこないでしょうし。


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下の方の言う様に

作者である和月先生は

人誅編をるろうに剣心の根幹として考えておられたそうです。

元々は人誅編を描いて終わるところを

編集者に少年誌らしいバトル物の長編を描けと言われて

京都編を描いた、元々描く気はなかった、

見たいな事を単行本なんかの作者コメントに描かれていた様に

記憶しています。



つまり、るろうに剣心と言う作品において

「引き延ばしによる蛇足」に当てはまるのは

京都編の方だと思います。

(京都編が必要なかったと言う訳ではありません。

後、京都編を蛇足と言ってる訳でもありません。

あくまで人誅編を蛇足と言うのならば…って事です。

あしからず。)



確かに少年誌に合った、

盛り上がったのは京都編の方だとは思います。

それこそ人誅編より京都編の方が面白かったと言う意見は

それなりに納得のいくものです。

好き嫌いは人それぞれですし…

しかし、如何せん京都編の敵キャラが魅力的過ぎた…

そちらにファンが多くつくのも致しかたない話です。



ただ、今回の質問で人誅編に関して

その様な評価が下されていると知って、

少しショックです…

剣心復活の際のオイボレの言葉。

永きの苦悩の末、ようやく剣心が導き出した人斬りの罪を償う答え。

それを、見て聞いて、それで尚蛇足と呼べる人は

確かに一体何を読んでいたのですか?と、

疑いたくなる気持ちはとても分かります。



少年誌としては少し路線が外れたのかもしれませんが、

るろうに剣心と言う作品において人誅編は必要不可欠で

それなくして完結する事は有り得ないと思います。

僕は勿論京都編も好きですが、

人誅編の方がその何倍も好きです。

蛇足なんて言われると、僕の大好きなるろうに剣心自体を

汚されたような気分です…



凄く哀しい…



補足について

アニメはアニメで

マンガはマンガだと思わなければ

その辺はやってられません。

製作サイドの都合や不特定多数の視聴者に配慮するのは

必要なことです。

ある程度表現や描写が変わってしまうのは仕方のないことです。

マンガや雑誌なら手に取って中身を見ない限り深い内容までは

理解する事は出来ないと思います。

ですが、アニメだと音も入りますから

チャンネルを間違えた時に音声でマリアルーズや口減らしの事が

耳にした人が当事者(居ないと思いますが)とか

それを快く思わない人だったりとかしたら

あまり良い事ではありません。

マンガや雑誌以上に大勢の目に耳に触れるからこその配慮です。

何も原作を否定や改変しようと言う訳ではないと思います。

個人的にはマリアルーズ号や口減らしの話は

由美や般若のバックボーンにはなると思いますが、

歴史の一旦と言う事でるろうに剣心の作品上それほど

深く大きく関わる話ではないのでそこまで気にする事も…

そう言う逸話が入るのがるろうに剣心の魅力と言うのも重々分かりますが。

確かに廃仏毀釈の話がオールカットでもされようものなら

それこそ発狂モノですが。



僕は見たことはありませんが

星霜編?と言うOVAの話の方が好きと言う人も居る位なので、

アニメはアニメなりのよさがあるのでは?

でもかなり壮絶なラストらしいので

もしその話をジャンプ本誌で原作がやったら

人誅編以上にアンチが出たとは思いますが。



まぁアニメ見て原作を非難とか低評価するような

人たちの意見には耳を貸さないことが一番です。



自分が好きならそれでいいじゃないですか。

開き直るしかありません。



皆にも良さが分かって欲しい!ってのならば

話は別ですが。



何か長くなりましてごめんなさい。

全て僕の勝手な意見ですので、ご了承ください。


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何年も剣心を少年マンガ界一のイイ男と思ってます。

やはり自分を責め続けながら、他人の、回りの幸せを願い続けたからかな?

悲哀を伴った、純文学にも通ずる「人間」の苦悩や心情の深さがこの作品にはあると思ってます。



おっしゃる通り、剣心の顔の傷、心の傷、全ての発端は人誅編にあると思います。

作者は実はコレを描きたくて、京都編は、その前哨的なストーリーで、作品全体やキャラの「肉の」厚みのために用意されたものって感が私にはします(ちょっと言い過ぎですが)。



マンガにも読解力って必要だと思います、コレほどの心情的な大作は特に。

小説の行間を読むのと同様に、コマ間を読む・・・作者が何を言いたいのか思いを馳せながら読む。



最近は単純なバトルものも多く年齢も低年齢化しています。低年齢層にもウけるように作られていると言うか。

社会全体が「空気読めな」くなっているし、バカチョン的短絡的に、余計なこと考えたくなく、すぐ「わかりたい」んだと思います。



なので、【核】まで深読みできないのかも知れませんね。



※※※



諸氏のご意見大変参考になります。

で、傾聴しながら思ったことは・・・

和月先生ってとても真面目な方ってイメージがあります。

だから京都編を描くにしても、ご自分が描きたいことから少し遠回りだったとしても、当然手抜きはせず全力投球だったのでしょう。

だから精魂込めて描いた京都編がすごいお話になった・・・

さて、人誅編

他の方のおっしゃるとおり、志々雄以上に魅力的なキャラを作り上げることも困難だったと思います。

また、話の筋からは縁だけでも良かったと思います。ご本人もそう思ってらっしゃたのでは・・・

ただそうするにはもう人気が出過ぎたのですね。

読者側の要求に応えないといけなくなったので、いろんな設定が付け加えられたんじゃないかと。

バトルでも何でも、後の方を過激にしないと特にバトル目当ての読者は物足りないでしょうから。



これは「武装錬金」を読んだとき感じたことですが、かなり編集側読者側に迎合して「こうしたら喜んでくれるかな?」と考えられながら作られたように思いました(なのでこの作品はあまり面白くなかったです)。



こう言ったこともちょっとあったのかな、とふと思いました。

あくまでも私見ですが・・・



剣心の「心の旅路」で読んでいくと、この作品は文学として確立していると思っています。



※※

許せんと言っても・・・仕方ないでしょう。

まぁ、私も原作派なのでお気持ちはわかります。

どうしても時間の都合があったりするし、原作そのまま伝えることの方が困難かも。他の作品でも言えることですね。



ちなみに私は女だから、少年マンガ的バトル展開は好みでありません。頸飛び過ぎもイヤ。

「天翔龍閃」とかデカデカと太字でいちいち書かれるのも好きじゃないです。

だからそこらへんすっ飛ばして読んでる感があったので、ハッキリ言ってあまり京都編人誅編分けて考えたことなかったですね(ココでのご意見見るまでは)。

こう言えば本当に剣心が好きなのかと言われるかも知れませんが、それでもこの作品に惹かれてやまないのは、作品を通してずっと人間(剣心)の苦悩が流れているからで、そのテーマは不動であり明確だと思ってます。



まぁやはり深読みできるかできないか、と言うことで!


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それだけ、京都編が盛り上がったからだと思います。

人誅編のあとに、もう1つ「○○編」という形で盛り上がれば、全体的にバランスの取れた物語になっていたと、個人的所感はありますね。

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